子供の死
失礼にあたるかもしれませんが、60歳を越えた長く生きることのできた人の死と子供の死は違うように感じます。
命の重さは絶対に変わりません。
しかし、周囲の感情が違うのです。
まだまだこれから生きるべきだった無垢な我が子の死。
それは想像することもできなかった、自分の身に起きても理解することも受け入れることもできない大きな大きな悲しみでした。
本来であれば親が先に死にます。
子供の死に直面する人は稀です。
我が子が死んだとき、頭の中も心の中も真っ暗になり、母である私の人生も子供の死と共に終わったように感じました。
我が子の遺骨
次男の桜空は2歳2ヶ月で亡くなりました。
遺骨は自宅にあり、家族みんなが見える場所にいます。
「子供」の遺骨はどうするべきか
子供の遺骨は納骨することが多いですが、納骨しない方も多くなってきているようです。
まだまだ傍にいたい、一緒にいたい…まだ幼いのに…
そのような考えから「家族と一緒に」と考えるご家族が多いのだと思います。
納骨を考えていたのに納骨しなかった理由
私は気持ちが落ち着いたら納骨しようと考えていました。
納骨を考えていたにも関わらず納骨することをやめたことには理由があります。
夫は次男
夫は次男です。
お墓を新しく持つ必要があります。
いずれお墓を準備しようとは考えていましたが、今準備して桜空だけをポツンと一人納骨することは絶対にしたくないと感じました。
そのため、一時的に義父が墓守りをしているお墓に納骨させていただこうと考えました。
そこには私も知っている義父の母の遺骨もあり、優しいひいおばあちゃんやひいおじいちゃんたちが一緒だと安心だと考えたからです。
お墓から遺骨を出すことの大変さ
私か夫が亡くなったときに桜空の遺骨をお墓から取り出し移動を…と簡単に考えたのですが、遺骨の移動はとてもとても大変な作業であるということを知りました。
まず、移動先のお墓の許可書を取得、遺骨を出すためには今のお墓で供養のためにお経を唱えてもらい(閉眼供養)、場合によっては墓石屋さんを呼んで遺骨を出し、新しいお墓で供養のためにお経を唱えてもらう(開眼供養)、新しいお墓の納骨。
他にも手続きが必要なようでしたが、この内容を聞いて「一旦お墓に入れてもらう」ということはやめました。
宗教が面倒に思えた瞬間
何をするにも想像以上の時間、お金が掛かります。
「時間とお金を掛けたくない」と言っているわけではなく、急に宗教に対して面倒さを感じました。
今までは大切にしたいと考えていたことが、今回のことで「本当に必要なのか」と感じるきっかけになり「お墓」に対してや「仏教」に対して少し煩わしさを感じてしまったのです。
ご先祖や亡くなった我が子を大切に想う気持ちはもちろんあります。
しかし、宗教上の手順や決まり事が多すぎることによって「もういいや…」という気持ちになりました。
罰が当たるぞ
きっと納骨していないことや散骨し何も残さない選択をしようと考えていることに対して「そんな考えや行動では罰が当たるぞ」と感じている方も多いと思います。
しかし、私に我が子を亡くした以上の罰なんて存在しないのです。
亡くなった方を偲ぶ方法は人それぞれ
周囲と同じようにするのが善で、違うことをするのが悪ではないように思います。
人それぞれに様々な選択肢があり、その選択をしても良いように思います。
私は自分が死んだときに自分の遺骨と我が子の遺骨を散骨し、お墓は持たない選択をしようと思っています。
