【お墓参りに行かなくなった】お墓をつくることの意味・遺骨を残すことの意味

お墓参りに行かなくなった

お墓参りに行かなくなりました。
以前は毎年お墓参りに行っていました。
ご先祖様を大事にしたいという気持ちがあり、亡くなった祖父母の遺骨があるお墓に行くと祖父母に逢えた気がしたからでした。

きっかけは ‟我が子の死”

お墓参りに行かなくなったきっかけは ‟我が子の死” です。

納骨しなかった我が子の遺骨

我が子の遺骨は納骨していません。
その理由についてはこちらのブログをご覧下さい。

【我が子の遺骨を納骨しなかった理由】お墓から遺骨を取り出すことも大変|遺骨を残す意味とは
我が子の遺骨は自宅にあります。納骨しようと考えていたにも関わらず、納骨をやめた理由を綴っています。

私は我が子の死後、仏教という宗教に対して「自由」が少なく、決まり事が多すぎると感じました。
信じてきたこと、今までしてきたお墓参りなどの習慣さえも考え直そうと思ったのです。

私は「お墓」をつくらない 「遺骨」を残さない

「残す」ことに執着しなくても良いのではないか、と思い始めました。
残すと遺骨を雑に扱われたくはないと感じます。
残すと子孫は守らなければと思います。
姿は「無」になったにも関わらず、遺骨を残すことによって皆の先祖を想う心とは別の執着が生まれてしまっているように感じます。

先祖の心はいつも傍にある

県外にいて、外国にいてお墓参りができないから「先祖を大事にしていない」のかというと違うと思います。
また、お墓参りに行けないことに子孫が引け目を感じることも違うと思います。
そして、ご先祖はお墓に行けない子孫に苛立ちを感じるか、というと感じないと思います。

先祖の心はいつだって傍にあると思っています。

様々な考え方があって良い

絶対に相手への自分の想いの押し付けがあってはいけません。

私は「残すこと」をやめようと思っていますが、「残して大事にしてほしい、逢いに来てほしい」という人を否定しているのではありません。
ただ、我が子を亡くしてから様々なことを考える中で
先祖って何だろう…
お墓って何のためにあるのだろう…
遺骨を残さなくても良いのではないか…と今までは当たり前だと思ってしていたことに対して疑問を感じたのです。

死後に執着せず ‟生きている今” を大事にしたい

私は残すことをやめて人の心の中で生きようと思います。

そして、自分が死んだ後の世話やお金のことの心配を一切無くして、今を思いっきり楽しんで生きようと思います。

 

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