自分たちが死んだ後の 桜空の心配
桜空は「もうだめかもしれない」という場面を何度も乗り越えてきました。
桜空の生命力の強さを感じるとともに、こんなにもたくさんの危機を乗り越えた桜空は「これからも生きる!」そう思うようになりました。
同時に私たち夫婦は、私たちが死んだ後の桜空の心配をするようになりました。
きょうだいには絶対に任せない
桜空のことは、きょうだい3人に絶対に任せたくはありませんでした。
きょうだいには、きょうだいの人生があります。
きっと、優しいきょうだい3人は私がお願いすれば支えてくれるでしょう。
しかし、私はきょうだいと言えど「自分ではない人間」という考え方でいうと、きょうだいも「他人」だと考えています。
きょうだいに自分以外の人間のお世話までお願いすることはできないと思いました。
健康である子は社会に揉まれて生活します。
一生懸命に働き、お金を稼ぎ、結婚をすれば夫婦で生活、子供ができれば子供も養いながら生活します。
それぞれの生活があります。
正直、自分の生活だけで精一杯です。
そんなきょうだいたちに、私は「自分の人生は自分のもの。自分のために生きてほしい」と思っているため、桜空のことを任せたいという考えは全くありませんでした。
時に逢いたいと思えば逢ってくれると嬉しい、大切なきょうだいと思っていてくれればそれだけで十分だと思いました。
自分が死ぬとき、桜空も連れて逝きたい
桜空の意志は無視で申し訳ないですが、私が死ぬときに桜空も連れて逝きたいと思いました。
私は自分が産んだハンディキャップのある我が子を、自分が死ぬときに置いてはいけません。
私が死んだら、桜空は施設に入所するかもしれない。
施設に入所することが桜空にとって幸せなことであればいいのですが、時にニュースで目にする職員による虐待など、心配で置いていけません。
自分が産んだ子供です。
子供がお母さんと一緒に逝きたいと言えば、親が責任をとって自分が死ぬときに一緒に死にたいと思いました。
医療ケア児や難病を持った人の未来
親が心配しなくとも、ハンディキャップを抱えた人たちが楽しく幸せな日々を暮らせるような未来があれば親は安心して逝けます。
ハンディキャップがあっても、社会的サポートを得て、できる限り自分で収入を得ることができ、自立して過ごせることはハンディキャップを抱えた人の尊厳を守る上でも大切だと感じます。


