【桜空の死から1年半】子供への愛と感謝|自慢の次男坊

投稿した日は桜空が亡くなって3年経っていますが、
この記事は2023年11月、桜空が亡くなって1年半の頃に残したものです。

「これでよかった」そう思う日は絶対にこない

桜空の子育ては、そもそも「子育て」の部分が少なく、ほとんどが「看護」でした。
人工呼吸器の管理、気管切開のケア、胃ろうへの注入、吸入、吸引など。
健康に産まれた子とは違い、「やらなければならないこと」が多く、
今考えても本当に大変でした。

桜空が亡くなり、大変な毎日が一変し、
今は桜空を出産する前の日々に戻ったかのようになってしまいました。
今は「看護」がほぼない、「普通の子育て」です。

しかし、桜空がいなくなって「これでよかった」
そう思ったことは一度もありません。
大変な毎日でも、家族みんなが揃って生活できた日々は何よりも幸せな日々だったからです。

桜空が欠けた今は、私の心も欠けた状態のままです。

やっと現実を受け入れ始めた

「元気に産めなかった自分が悪い」「手術を希望した自分の選択がいけなかった」
負の感情が多かった私の心が、少しづつ、1年半経った今、やっと落ち着き、
「受け入れる」ということをし始めたのです。

それは今まで苦しみ、もがき、泣きながらも、
自分の気持ちに向き合ってこれたからではないかと感じます。

「受け入れる」ではなく「蓋をするようになった」だけ?

桜空が死んでしまった日。
思い出すことさえ地獄な「あの日」の出来事。
「受け入れる」というよりは、過去や悲しい感情に
「蓋をすることができるようになっただけ」なのかもしれません。

しかし、そうであっても毎日泣いていた日々よりは前を向けているのかな…と思います。

「神様はいない」と今も思っている

「神様はいない」と今も思っています。
しかし、神や仏を否定しているわけではありません。

自分の力ではどうしようもできなかった 我が子の死

神も仏も、母親である桜空を作り出した私でも、
桜空の病気は自分の力ではどうにもできなかったことであったと理解し始めました。

たくさんの選択肢 選択した結果の「今」

人生は選択を迫られる場面がたくさんあります。
人間はみな、たくさんの選択をしながら毎日生きています。

選択した結果が理想通りでなかったとき、
「あの時、違う選択していれば…」
そう思うことは多々あります。

しかし、あの時に自分は他の選択を選ばなかったのです。
もう一度、同じ瞬間に戻っても同じ選択をしたのだろうと思うのです。
こうなりたくて選んだわけではなかった「あのときの選択」だったはずです。

しかし、「幸せになると信じて選んだ選択」でした。
それだけは忘れず、今日も桜空が笑顔でいてくれていると信じて生きます。

【桜空の死から2年半】ずっと私の大切な3人目の赤ちゃん|無敵になった私
桜空がいなくなってしまい2年半が経ちました。たくさんの病気があったにも関わらず産まれてきてくれた桜空への感謝は日に日に強くなっています。今の気持ちを綴っています。
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