【フラッシュバック】一周忌で思い出す子供の死|神も仏も信じない

我が子の一周忌

桜空の一周忌法要を無事に終えました。
私にとって一周忌法要は「しなければならないからした」という気持ちです。

桜空が死んでしまうまでは、しきたりも大切に思っていましたし、全て行ってきました。
しかし、我が子が死んでしまい「何かを大切にしたから救われる」などはないのだとわかったのです。
神も仏もきっといないのでしょう。

何のための一周忌法要?

一周忌法要…必要なのでしょうか?

あんなにも頑張って一生懸命生きた我が子です。
桜空が天国に行けない、幸せでないことはあり得ないのです。
だからこそ思うのです。
しきたりはいらない…
気持ちの問題なのではないかと。

子どもが帰ってきてくれるなら、子どもを返してくれるなら何でもするのです。
だけど違う…
心も身体も疲弊した一周忌法要となりました。

いつまでも思う「なぜ幼い我が子が…」

祖父母の死などであれば、元気なときを思い出すことができるかもしれません。
実際、桜空が旅立った昨年に祖母も旅立っているのですが、祖母は元気であったときの姿を思い出し、感謝の気持ちでいっぱいなのです。

しかし、我が子の死は一年経つ今も違います。

思い出される我が子の死

お線香が漂う部屋…
妙な静けさ…
お坊さんのお経…
また、礼服を着る自分…
礼服を着た主人…

思い出すのは元気だったときの桜空、笑顔の桜空ではありません。
生きている桜空に最期に会ったときの呼吸器回路に血が溜まり、身体が浮腫んでいた桜空…
術後DICを起こして亡くなってしまい、私が会えたときには紫色になっていた桜空。

悲しかった
1年経つのか
1年しんどかった
何も変わらなかった
何も楽にはならなかった
ずっと思い続けている桜空のこと

家族みんなで過ごしたかった
みんな一緒がよかった
叶わなかった現実

あの子がいなくなって1年
何も癒えやしなかった
当然です
我が子が死んだのですから

突然の嘔気・頭痛

知らない間に気持ちが病んでいたのでしょう。
一周忌法要が終わった数日後、仕事を終え、子供を迎えに行き、帰宅後に突然嘔気・頭痛…
鎮痛剤を飲んで睡眠をとり、数時間後には家事・育児もでき、動けるようになりました。

これからもつらい…

桜空の旅立ちからもうすぐ1年になります。
涙を流すことは少なくなりましたが、癒えることは全くありませんでした。

家族で何かをすれば「桜空もいれば、どれだけ幸せだっただろうか」
子供の誕生日を迎えれば「桜空の誕生日もこうしてお祝いしたかった」

桜空を忘れることはありません

神や仏に願ってはいけない、感謝することのみ

あんなにも願ったのに…何で願いは叶わなかったのか
桜空も、私たち家族も努力したのに…努力は報われなかった

そう思ってはいけなくても思ってしまいます。
しかし、神様、仏様には願ってはいけないそうです。
小林正観さんの「ありがとうの神様」という本に書いてありました。

「桜空に出会えたことに感謝しなければならない」
きっとそういうことなのでしょう。
感謝しつつも、悲しく、虚しく、大きく空いた心の穴が塞がることはありません。

同じ経験をされた方に伝えたいです。
この感情は当事者にしかわからない。
私はあなたの気持ちがわかる。
自暴自棄になることだってある。
泣き叫びたいことだってある。
でもこんな感情になるのは、あの子がとても大切な存在だったから。
そんな大切な人を失って、いつもいつも頑張れるはずもない。
今日も一日、つらい気持ちを抱えてよく頑張って生きました。
今は大切な人が生きたかった時間…
今ある自分の命、家族の命を大切に過ごしていきましょう。

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