【桜空の死から2年半】ずっと私の大切な3人目の赤ちゃん|無敵になった私

投稿した日は桜空が亡くなって3年経っていますが、
この記事は2024年11月、桜空が亡くなって2年半の頃に残したものです。

今でも鮮明に思い出せる 桜空が生きた2年2ヶ月

桜空が亡くなった、つらかった日のことは「思い出さないようにしている」という言い方が正しいかもしれません。
思い出せば、今でも悲しく、虚しく、
なぜ代わることができないのか悔しく涙が止まらなくなります。
つらかった日のことを思い出すと、その後も精神的にしんどくなってしまうため、
今は思い出さないようにしています。

しかし、お世話になった方に偶然逢えたり、写真を見返したり、
ブログで桜空がいたときのことを思い返すと、
今でも鮮明に桜空が生きていた2年2ヶ月が思い出されます。
楽しい思い出や大変ではあったけれど一緒に居られて幸せだった自宅で過ごせた日々、
心配しながら病院で付き添った日々。
思い出すと同時に「桜空、どこに行ってしまったの…?」
やはり、我が子がいない虚しさは常に感じています。

桜空への感謝と愛

つらかったよね、あのまま生きることもしんどかったよね…
最期まで一生懸命頑張って生き抜いてくれたよね…
私たち家族に逢いに来てくれたんだよね…

感謝の気持ちしか出てきません。
あんなにもたくさんの病気があり、しんどいであろう身体だったのに
笑顔を見せてくれ、最期の最期まで頑張ってくれた桜空。
強い子だった。
優しい子だった。
可愛い子だった。
私の大切な3人目の赤ちゃん、桜空。

ごめんね、先に1人で逝かせてしまって。
ごめんね、元気な身体で産んであげることができなくて。
ママもいつか逝くよ。
こっちでの役割をしっかり果たして、お迎えが来たときには笑顔で逝くよ。
早いか遅いかはわからない。
だけど、桜空のように一生懸命生きて逝くから待っていてね。

ずっと変わらない、桜空を大切に想う気持ち。「ありがとう」と「愛してる」の気持ち。

強くなった自分

桜空の死は本当に自分を強くしたと思います。
強くなりたくはなかったですが、子供の死ほどに永遠につらく、
人生を終わりにしたいと思うことは絶対に金輪際ありません。

今まで「つらい」と感じたことも何も「つらい」とは感じなくなりました。
子供の死ほどにつらいことなど世の中にはなく、
「生きていたら、そういうこともあるだろう」と客観的に思えるようになりました。
理不尽なことがあったり、相手と考えが違っても
「人間みな違ってそれが良いことなのだから仕方のないこと」
「こんなことで悩むくらいなら、甘いものでも食べて子供と遊んで忘れよう」
そう思うようになった自分がいます。

決して我が子の死を肯定的に捉えているわけではありません。
私が人生で子供の死を経験したことで「無敵のような人間」になっているとは感じます。
ある意味で鉄の心臓。
起こっていることを俯瞰の目で見ることができるようになり、
達観できるようになったと思います。

桜空に話しかける毎日

桜空の可愛い写真を見て
「桜空、おはよう!今日も可愛いね、カッコイイね!
今日はすごく天気が良いね。元気に遊んでね、さぁママもお仕事頑張るよ、行ってきます!」
手を合わせて話しかけています。
傍から見ると、なんとも惨めで虚しいですが、これが現実です。

今日も戦う 強い子供たち!

今日も桜空のように病気と闘っている人がいる、家族がいる。
心からエールを送ります。

病気を克服したり、病気と何とか上手く付き合うことができ、
一緒にいたい人といられて、安心して過ごすことのできる家で生活できることは
とても大切なことでり、私の今はもう叶わない望みでした。

1人でも多くの人が家族と一緒に笑顔で生活できますように。

【桜空の死からもうすぐ3年】母である私が生きる意味が見出せない|続く悲しみ
桜空がいなくなってしまい3年が経とうとしています。我が子である桜空が死んでしまったのに、母である私が生きている意味が見出せないときがあります。今の気持ちを綴っています。
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