桜空の誕生日月 2月
6年前の今頃は大きな不安と、それでも生きて産まれてこようとしてくれている桜空の生命力を信じて、より健康に産まれてくれることを願っていました。
「家族5人で一緒に生活したい、一緒に暮らしたい」
どんな形であっても5人一緒に生活できることを望んでいました。
「家族は一緒にいるべき」だと私は思うからです。
悲しかったNICU入院中
誕生日月になると桜空とのいろいろな出来事を思い出します。
嬉しかったことも、悲しかったことも、つらかったことも。
桜空は病院でハーフバースデーを迎え、看護師さんが桜空を寝かせているインファントウォーマーに飾り付けをしてくれました。
本来であれば「嬉しい、ありがとう!」
その感情でいっぱいだと思いますが、私は飾り付けしてもらったインファントを見て涙を我慢できませんでした。
看護師さんや担当医が来て下さり、「おめでとうございます!」と言ってくれました。
看護師さんや担当医は私が嬉しくて泣いていると思ったでしょう。
しかし、私は悲しくて涙が溢れました。
「本当の5人家族」になれていない悲しみ
私は担当医に素直に話しました。
「できる限り、1日でも早く、桜空を自宅に連れて帰りたいです」
笑顔で「おめでとうございます!」と言ってくれた担当医は真剣な顔で「お母さん…」と言って話を聞いてくれました。
桜空を出産し、私たちは5人家族になったわけですが、私は5人家族になった実感は全くありませんでした。
面会に行けば3人目の子供、桜空に逢えますが、家に帰れば2人の子供しかいない…
自宅では4人家族のままでした。
一人の大切な赤ちゃんを病院に置いたままの、悲しい、虚しい、赤ちゃんと離れ離れの無力な母親でした。
子供たちも画像で弟の桜空を見れるだけです。
実際に会うこともできていない桜空は「画像や動画でしか見れない弟」になっていました。
担当医は本当に優しい医師でした。
話を聞き、真剣に桜空を支え、私たち家族に向き合ってくれました。
私の恩人です。
私は担当医やお世話になった看護師さんの幸せを、いつも心から願っています。
たくさんのことを頑張ってくれた桜空
私は桜空に十分なことができませんでした。
もっとできたはずです。
もっと頑張る桜空のためにできたはずなのに、私はできなかったことがたくさんありました。
こんな母親の元にきてくれた桜空。
本当に優しい子でした。
きっと自分が病気を持っていること、短い生涯であることを桜空は産まれる前から知っていたのではないかと思うのです。
あんなに優しく笑うことができる子はいません。
たくさんのしんどいこと、痛いこと、つらいことがあったにも関わらず、桜空はたくさん笑ってくれて天使のような子でした。
最後に医師の「今日、明日ではない」という言葉を聞いて、上の子たちを兵庫から愛媛に連れて帰ろうとして旅立つ瞬間に傍にいられなかったこと、本当に悔やんでいます。
ごめんね。
大好き、愛してる、ずっとずっと。
桜空が元気な身体でもう一度産まれてこられるなら、ママは何でも頑張るのに。
子供を亡くした親の悲しみは永遠です。

