【桜空を普通に育てたかった】元気に産まれた赤ちゃんを見て|いつも想うこと

健康に産まれた赤ちゃんを見て比べてしまう

普通に呼吸ができて、普通にミルクを飲むことができて、普通に家族と一緒に過ごすことができて…
本来であれば当たり前のことができない我が子。
我が子、桜空はVATER症候群という難病を持って産まれま、たくさんの病気がありました。
そんな我が子は約11ヶ月NICUに入院しました。
私は「自分ができることは何でもしよう!」と考え、毎日搾乳を持って面会に通いました。

抱っこして買い物ができる うらやましさ

産まれて間もない赤ちゃんを抱いて買い物に来ているご家族…
産まれて数か月の赤ちゃんを抱っこひもで抱いて買い物に来ているお母さん…
私はそんな家族やお母さんを見て、毎回、毎回「いいなー、私もそうなる予定だったのにな…そうなりたかったのにな…」と思っていました。

「我が子は頑張っている」と言い聞かせる日々

うらやましい反面、私は頑張っている我が子に毎日逢いに行き応援する他ありませんでした。
いつか抱っこして買い物に行くこと、抱っこひもでお出掛けすることができるかもしれない…と信じて頑張るしかない、我が子は頑張っているんだから私が逃げてはいけないと言い聞かせていました。

産まれた瞬間から大違いの人生

しかし、現実は過酷でした。
私の可愛い次男、桜空は管だらけです。
私がこれだけは希望しないと思っていた人工呼吸器さえ外せずにいました。
さっき買い物のときに見た赤ちゃんとは大違い。

同じ時期に生まれた赤ちゃん、同い年に生まれた赤ちゃんなのに…
なんでこんなにも産まれた瞬間から人生は違うものなのだろう…

現実から逃げたくなる毎日

「希望持とう、前を向こう!」

何度も現実から逃げたくなっては、自分を鼓舞することを繰り返しました。
しかし、運命はひどいものでした。

いつまで面会に通うんだろう…

面会に行って「頑張ってるね、えらいね」
声を掛けますが、痛々しい姿にもう見ていることもつらい…と思ったときも何度もありました。
日に日に体重が減り、頬がこけた産まれて数か月の我が子を見て、目が涙でいっぱいになりました。
「でもNICUで泣くのは違う、みんな頑張っているのに母がこんなんじゃ…」と溢れそうな涙をスタッフに気づかれないよう袖で拭いた日々。

「数か月できっと退院できる…頑張ろう!」と思っていましたが、半年を過ぎても桜空が退院できる目途は全くつかず、先の見えない状況が続きました。

こんな人生、もう嫌だ…

いつしか面会に行くことは母である私の義務のように感じていました。
「本当はこんな人生、もう嫌だ!」と言って子供みたいに大泣きしたかった、
「もう、や~めた!」と言って、母の役割を捨てたくなった…

私がこの子を元気に産むことができなかった

「そんなことを思ってしまっている私が、この子を元気に産めたらよかったのに産めなかったんだ。
普通に買い物にも連れて行ける、元気な状態で産んであげられなかったんだ。
なのにうらやましいとか思ってしまっている。
本当にごめんね。元気に健康な身体でもう一度産み直したい」

私の感情はぐちゃぐちゃでした。
本当にしんどかったです。

結局は報われなかった

桜空は生後11ヶ月で家に連れて帰ることができました。
気管切開をし、人工呼吸器を付けた状態で栄養は胃ろうでした。
一緒に過ごせた数ヶ月は本当に大変でしたが幸せでした。

しかし、手術して完治していたであろう病状が再燃し、県外のこども病院に入院。
手術後に亡くなりました。

桜空はたった2歳2ヶ月の人生でした。
家族と過ごせた期間は1年もありませんでした。
半分以上の人生を病院で過ごさせてしまいました。

亡くなって4年が経とうとしていますが、赤ちゃんを見る度に
「なぜ桜空は元気に産まれてこれなかったんだろう」
「なぜ私は元気に産めなかったんだろう」
「元気だったら小学生だったな…」と思ってしまいます。

子供を病気で産んでしまう、子供を亡くすという経験をしない平和な世界で生きたかったです。

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