なぜ、私の子どもはいなくなり、親である私は生きているのか
なぜ、私の身体は存在しているのに、子どもの身体はなくなってしまったのか
ただただ虚しく、私が生きていることに疑問を感じることがあります。
それくらい我が子の死は大きかったです。
自分が産んだ子どもが、大切に大切にお腹の中で育てて、この世に生まれてきた子どもが死んだ
あー、そうか、頑張っても頑張らなくても一緒だった
ならば、なぜ桜空にあんなにもたくさんの試練を与えたのですか?
生かしてもくれないのに…
私がたくさんのことを桜空のためにと覚えたこと、習得したケア、準備した物品、全部無駄だった
全部無駄だった
そう思えてくる
あんなに上2人を泣かせて頑張った付き添い入院も、あんなに夜中までミルクを注入したことも、
夜中に何度もアラームや吸引で起きたことも、家で点滴管理したことも…
ぜーんぶ無駄だった
あんなに可愛い子が頑張りやの子が生きられないなんて
神様はいないと確信した
ご先祖様もいないと確信した
みんな「無」だった
神を信じても、先祖を信じてもダメ
だって、いないものなのに願ったってダメ…
桜空がいなくなってからすがるように本を読んだ
「ありがとうの神様」という本に書いてあった
願うのではなく、感謝するだけって
本当にそうだと思った
願ってはダメ、願って叶うわけではないから
することは感謝することのみ
だけど、たくさん頑張った2歳の我が子が助からなかった
このことで感謝さえできなくなった
頭ではわかっている
桜空を出産できたこと、桜空に逢えたこと、桜空の成長を見ることができたこと、10ヶ月自宅で一緒に過ごすことができたこと
感謝しなくてはいけない
でももっと桜空が良くなって、医療機器が減って、これからずっと一緒に暮らしたかった
これからいろんなところに一緒に行きたかった、おもちゃやお菓子を選ばせて買ってあげたかった
「欲」を言い出すとキリが無い
いなくなってしまったのに感謝?
私にはまだ難しい
ただ普通に家で6人一緒に暮らしたかったな…
自分の感情にしんどくなることがある
自分の感情が重くて付いていけないときがある
子どもがいなくなったから
可愛い我が子に逢えなくなったから
死んだら会えるのだろうか?
私は死んだら「無」になるんだと思っている
きっと、死んだら何もなくなる
けれど、死んだら桜空に逢える
そう思った方が今世が生きやすい
天国で逢って抱きしめて、元気な桜空を育てることができる
私にとってそう信じることだけが救い…
だから、そう信じて、桜空に恥ずかしくない人生を生きて死んでいきたい
子どもを失った親は、精神を保てているようで保てていない
時にどうしようもなく虚しく感じたり、何もかもどうでも良くなり放棄したくなることもある
あの子のいる世界に行きたいなぁとそう思うことだってある
あんなにも一生懸命だった、上2人と桜空を育てることに一生懸命だったのに、
家族一人を失うと、もうどうでも良いかな…と思える自分に、自分でも驚いている。
全てを捨てても良いかなと思えるときがある。
それくらい、子どもの死は大きい。大きすぎる。
もうすぐ桜空がいなくなり1年、心の寂しさや大きな穴は大きいままです。
桜空、元気にしている?寂しくない?何か食べれている?
これからもあなたを育てたかった、強く生きていくあなたを見たかった。
桜空はもう痛みも悲しみもない世界にいったんだよね?
笑顔がとってもよく似合う女の子みたいに可愛い桜空、ずっとずっと笑顔でいてね。
ママが逝くまで幸せに過ごしてくれていますように…
あなたが最後まで一生懸命生きたように、ママも最後の最後まで一生懸命生きるよ。
ありがとう、可愛い桜空。