【勘違いしない】間違いを指摘してくれる人は大切な存在|類は友を呼ぶ

良い人間関係 = メンタルが安定していること

良い人間関係は、双方のメンタルが安定していることが大事だと思います。

子供の頃から メンタルを鍛える

子供が自分勝手であったり、わがままであった場合、
「子供だから仕方ない」「成長すればわかるようになる」と思う大人は多いと思いますが、
私は違うと思います。

それまでは何も指摘されず生きてきたことを、
中学生頃に「もう中学生なのだから…」と言われても
「今までよかったのになぜ?」とむしろ子供は人間不信となり、
何が正しいことで間違っていたのかもわからなくなります。

また、今までの10年以上をそれで良いと生きてきたからこそ、変わることは難しく、
子供は「変わらない」という楽な選択をしてしまうと思うからです。

これは子供が悪いのではなく、
周囲が甘やかした、注意することを先延ばしにした結果なのではと思うのです。

「子供には甘えさせたい、甘えることが大事」

私もそう思いますが、事によると思うのです。
子供が欲しいと言った物を全て買い与える、
髪を染めたい、ピアスを開けたい…など、子供がしたいと言ったことを全てさせる

一見、子供の欲求に答えるとても優しい親なのですが、
子供にとっては「何でも思い通りになる」と思わせてしまう側面もあると思うのです。

「メンヘラな息子」

息子は1歳の頃から、自分の感情をコントロールすることが難しい子でした。
思い通りにならないと癇癪を起こし、人や物に八つ当たりします。

1歳の頃から8歳の今現在も根性を鍛え直している最中です。
正直、何でも買い与えたり、やりたい放題にさせる方が子供が機嫌が良いため、
親は楽です。
叱ったり、ずっと癇癪に付き合うことは親の大きな労力を要し、ストレスだからです。
しかし、これでは子供のためにはなりません。
子供にメンヘラであることに苦労し、周囲を困らせ、孤独になってほしくないため
一生懸命向き合い、メンタルを鍛え直しています。

「ありのままの自分でいる」ことの はき違え

「ありのままの自分でいたい」
一見、自分らしく生きることができていて、とても良いことのように思います。

しかし、本当にそうであるかは自分の周りにいる人を見るとわかる場合が多いです。

周りに 本音でぶつかってくれる人がいない

そもそも自分以外の人は「他人」です。
冷たい意味合いではなく、「他の人」という意味です。

自分でない人に求めたり、わがままになったとして、自分は良いかもしれませんが、
相手は「しんどい、最低限の付き合いだけにしたい」と感じているかもしれません。

本音でぶつかってくれる、指摘してくれる人は
本音を言ったり指摘すれば、泣いて暴れたり、物や人に当たる姿を見て呆れ、
愛想を尽かし去っていくと思います。

周りが イエスマンばかり

結果、メンヘラの周りにはイエスマンばかりになります。
刺激したときに起こる感情爆発に周囲が耐えかねて、
周囲が自分の行動を何も否定せず、同意し、
指摘することを諦めるようになります。

勘違いしない

「ありのままの自分」でいることや「自分らしく生きる」ことは素敵なことです。
しかし、はき違えてしまえば、いつまでも大人になれない心が幼稚な人間でしかないのです。

「周りにいる家族や友人は、自分のことを全て理解してくれている」

それも間違いだと思います。
自分ではない以上、100%理解する事は無理な事です。

言われなくなったら、終わりです。
理解されたのではなく、「呆れられた」ということです。

周りは自分の鏡 「類は友を呼ぶ」

8歳の息子には、
癇癪を起こしたとき、それを見た母である私はとても嫌な気持ちになったよ、と素直に伝えるようにしています。
「自分の目の前で激しく感情を爆発させた人がいたらどう思う?」と聞き、
必ず振り返り考えるトレーニングをしています。

8歳になったということもあると思いますが、少しずつ成長し、
癇癪を起す機会が減ったと思います。

周りは自分の鏡です。
類は友を呼ぶという言葉がありますが、本当にその通りだと思います。
似たもの同士が仲良く集まります。

「自分が相手に優しくすると、みんなも自分に優しくしてくれるんだよ。
ほらね、優しくされると嬉しい気持ちになるんだよ」と伝えています。
息子がメンヘラを卒業できるよう、根気強く関わっていこうと思います。

 

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