【不幸事に付け込む宗教】神様がいたらこんなことになってない|神はいない

不幸事があると起こること

夫がリストラされた、子供が受験に落ちた、自分が病気になった、家族が病気になった、家族が亡くなった…
このような、人の大きな悩み事に付け込み、勧誘してくるのが宗教です。

弟の難病

弟は難病でした。今はありがたいことに元気に生活をしています。

弟の病気がわかったのは中学2年のときでした。
学校に行けず、手術、抗がん剤治療のため1年近く入院しました。
弟も、そして母もたくさん悩み、母は自分を責めたと思います。

母をカフェに誘った旧友

弟が入院している頑張っている時期頃に母は旧友から連絡があり、旧友と久しぶりに逢うことになりました。

目的は「宗教への勧誘」だった

旧友からの誘いの内容は宗教への勧誘でした。
母が弟の話をした途端に「私も救われた、絶対に良くなる!」と言い、熱心に宗教へ誘ったそうです。

「宗教の勧誘」と知って悲しかった母

母は旧友から久しぶりに連絡が来て、逢うこと、話すことを楽しみにしていました。
しかし、子供の病気の悩みに付け込み、宗教の勧誘をされたことにもショックを受けていました。

しかし、本当にその方は宗教に救われたのかもしれません。
そして、私の母を同じく宗教に勧誘することで救われるよと優しい気持ちで誘ってくれたのかもしれません。

神様が助けてくれる?

母は宗教に入ることはありませんでした。
その後、その旧友と連絡をとることもなかったようです。

私自身は「神様」を信じていません。
頑張って、痛いこともつらいことも何回も乗り越えてきた我が子が死んだからです。
もし、神様がいたならばそんな子を死なせることはないでしょう。
「神様はいる」というのであれば、「神様は桜空を助けてくれなかった」と言えるでしょう。

藁にもすがる想い

精神的に何かにすがりたい、誰かに悩みを聞いてほしい、誰かと一緒にいたい、誰かに支えてほしい…
病気の子供を産んだ私のように人生のどん底にいてつらい、何もしたくない、もう人生終わりにしたい、もう一度人生やり直したい…

そのような気持ちになることを逆手にとって、宗教は付け込んできます。
最初は話を聞いてくれ、傍にいてくれます。
入教し、信者となった後に献金を要求されることが多いようです。

本当に神様がいたら…

宗教の方が言うように神がきっとこの病を治してくれる、揉め事は解決してくれる、良い方へ導いてくれるというのならば、今ある状態にすらならないはずです。
今起こっている問題すらなく、毎日平和に暮らせているはずです。

神様がいたら、こんなことにはならないはずです。
神様がいたら、平等であるはずです。
だから、神様はいないのです。

私は「神様」を信じることをしなくなりました。
頑張って、痛いこともつらいことも何回も乗り越えてきた我が子は死んだからです。
もし、神様がいたならばそんな子を死なせることはないでしょう。
そもそも健康な子、たくさんの病気を持って産まれる子…生の誕生の時点で不平等なことはしないはずです。
みな元気に産まれ、みな同じ年で生まれ変わりのために死んで逝く…このようにみなを平等にしてくれるはずです。
神様はいない、ただ自然の摂理で病気の子も産まれてきている。死んで逝く年齢もみな違う。
そう思う方がまだ納得できます。

そのため、宗教が「神」という言葉を使うことがすでに私にとっては疑問で、神はいないのになぜ?と思ってしまうのです。

信じることは素敵なことですが、信じることによって何かを誰かを犠牲にすることやお金を要求されることは違うのでは…と思っています。

 

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