実父母でも同居はしない
私は父母が介護が必要になっても同居は絶対にしないと決めています。
できる限りのことはしたいと思っています。
しかし、一緒に住むことはしません。
それは同居することのメリットよりもデメリットの方が大きいと感じるためです。
「礼儀」が無くなりやすい・不満が募りやすい
同居をしていると、何かとお互いのことに手が出てしまい、それがありがたいときもあれば余計なおせっかいになることもあると思います。
「してあげた感」や「してもらって当然感」が出てくる可能性があります。
「ありがとう」「ごめんね」は生活の中で大切な言葉ですが、距離感が近くなりすぎると減ってしまい、互いに不満が募るかもしれません。
「親しい中にも礼儀あり」は親子間でもいえることだと思います。
「お互いに快適な同居」は難しい
実際に私は社会人になって2年半を実家に住ませてもらいました。
少ない額ですが母が指定する金額のお金も入れていました。
私は夜勤がある仕事です。
準夜の仕事を終えて1時半頃に帰ってくると玄関の扉の音や生活音で父母が目が覚めてしまい、母から「夜中に帰ってくるのはやめてほしい」と言われました。
そのため病院の仮眠室で朝6時頃まで休んで帰ったり、仮眠室が空いていないときは軽自動車の中で朝まで休みました。
互いの生活があるため、実父母であっても一緒に快適に暮らすことは難しいと改めて思いました。
「実父母」といっても自分でない「他人」
血の繋がった実父母ですが自分ではない「他人」です。
「父母ならわかってくれる」「娘や息子はわかってくれる」は幻想です。
血は繋がっていても人格の違う別の人間。
「家族なのだから、絶対に理解し合えるべき。家族でしょ」という考えが相手を苦しめることはあると思っています。
理解し合えないことだってあるのです。
むしろ、親子だけど分かり合えないこと、それは違うでしょってことは指摘し合う関係性である方が私はよほど素敵な親子関係だと感じます。
程よい「距離」は大事
心も身体も…両方が適度に親子間で距離があることが大切だと思っています。
絶対にダメな 共依存
完全に親子で頼りきってしまう、父母には私しかいない、他の誰かに父母をお願いできないという責任感に潰れてしまい、共倒れしてしまうことは絶対に避けなければなりません。
「全部介護は私がやる!」「もう介護無理…限界…」と極端な100%か0%になることを避けることが大事です。
子供の医療ケアで感じたこと
自宅で診ていると、「こんなはずではなかった」は多々あります。
程度にはよりますが、医療ケアが必要である場合、認知症などでずっと監視する必要がある、介護度がかなり高く頻繁に介助を必要とする方を在宅で看ることは、想像以上に過酷です。
そのような方を介護するためには同居していてもヘルパーさんが来てくれる時間以外の時間は傍で付き添う、あるいは行動を把握する必要があり、介護者はまず仕事ができません。
社会と関われない時間は苦痛で、精神的にも疲れます。
できることは他者に任せる、自分のための時間も大切です。
「私生活の充実」があってこそできる介護
自分を産んでくれた親にとても感謝しています。
恩を返したいと思っています。
しかし、在宅介護を絶対に頑張り、自分よりも親を優先して何年続いていくかわからない先の見えない介護を自分だけが抱えていく必要はないと思っています。
人のために尽くすためには、まず自分の人生を自分が主役で生き、私生活が充実した状態であることが大切だと思います。
介護は先が見えません。
抱え込まずにいきたいと思っています。
もし、「無理だ、ごめん」と思ったとき、私は父母に施設に入ってもらうと思います。
しかし、それで終わりではなく、私は大切な両親にできる限り逢いに行きますし、笑顔で逢いに行って優しく声を掛け、楽しい幸せな時間を過ごしたいと思っています。
両親にもそのことを伝えています。

