夢を叶える
物心ついた頃から赤ちゃんが好きでした。
幼児も好きですが、赤ちゃんの何ともいえない愛おしさ、
赤ちゃんを見ているときに感じる幸福感が何ともいえず、助産師になることを志しました。
自分なりに一生懸命勉強し、助産師になりました。
私の想い描いていた人生
助産師になった後は2年程助産師としての経験を積み、結婚・妊娠、
産休・育休を取り、年子や2歳差で3人出産…が理想でした。
しかし、現実は全く思うようにはいきませんでした。
思い通りに行かなかった私の人生
助産師になり、大学病院に就職しました。
2年働かせて頂きましたが、主に婦人科メインの仕事内容で分娩の経験が積めず退職。
大学病院を退職した翌日から産科のクリニックに就職し、
妊娠・分娩を勉強し経験を積ませて頂きました。
2年働いた頃に妊娠しましたが初期の流産となってしまいました。
その産科クリニックは産休・育休の取得が難しい職場であったため、
流産したことは伝えずに退職。
その後、パートで総合病院で務め始めると早々に妊娠。
退職後に出産し、1人目が1歳を過ぎたころに近隣の産科クリニックでパートを始め、
娘2歳の時に妊娠しましたが、2度目の流産。
その後、再び妊娠し、出産。
2人目が2歳のときに桜空を妊娠、妊娠26週で胎児異常を指摘されました。
心臓の手術が可能な大学病院に転院し出産。
桜空は先天性異常のVATER症候群でした。
医療ケアが必要な子で、ほぼ毎日病院へ面会に通い、医療技術を学び、
人工呼吸器装着・気管切開・胃ろうの桜空を生後10ヶ月でやっと自宅に連れて帰ることができ、
在宅医療が開始しました。
その後、入院が必要な状況になり大学病院に入院。
大学病院では手術不可能とのことで、手術のため転院した兵庫県立こども病院で術後DICのため亡くなってしまいました。
隣の芝生は青く見えた
子供が4人、5人、6人…大家族で子供10人いるような家庭を見て、
「こんなに元気な子を何人も授かる方もいるのに、なぜ私は2回も流産し、1人は死んでしまったのだろう」
「何で、こんな人生なのだろう…」
元気に子供を授かり、病気と縁のない生活を送っている方がとても羨ましいく思いました。
運動会や参観日など子供の行事のため学校に行けば、元気な子どもばかり。
「なぜ桜空はここにいる子供たちのように元気に産まれてくることができなかったのか…」
「なぜ桜空はあんなにも頑張ったのに、報われなかったのか」
「仕方がないこと」だとわかっていても
「仕方がない」
悩んでも、悔いても「仕方のないこと」だとわかっていても、
いつも想うのは、傍で育ててあげられなかった桜空のこと。
2度の流産はとても悲しく、たくさん泣きました。
しかし、産まれてきて痛いこともたくさん頑張ってくれた桜空の死は、それはもう想像を絶し、
桜空の亡くなった瞬間に、私は魂を病院に置いてきてしまった、そんな感覚です。
桜空が生きていたときのように笑えないし、家族が揃う喜びを感じることはもうできない。
自分が産んだ子が死んでしまい、産んだ母の私が生きていることに
時に憎しみを感じることがあります。
自分より大切な人が、自分より本来長生きしなければならない子供が死んでしまったことは、
本当に皮肉なことです。
みんなつらい…でも、生きている
しかし、生かされている今、私は桜空の元に逝くその日まで
人生を苦しみ楽しみ生きるべきなのだろうと思っています。
そして、みんな平穏で幸せそうに見えても、
人は悲しく、つらいことをそれぞれに抱えながらも頑張って生きているのかもしれない、
と思うようにもなりました。
しかし、自分のような地獄に落とされたような思いは誰にもしてほしくないと思っています。
人生、思い通りにはいきませんが、
皆さんが今日も明日も幸せな1日を過ごせますように…心から願っています。
