【桜空の死からもうすぐ3年】母である私が生きる意味が見出せない|続く悲しみ

投稿した日は桜空が亡くなって3年経っていますが、
この記事は2025年3月、桜空が亡くなって3年が経とうとしている頃に残したものです。

桜空が亡くなってもうすぐ3年

今でもふと悲しく、虚しくなり、桜空に申し訳ない気持ちになります。
「私…なにやってるんだろうなー…」
自分が生きていることさえ意味が分からず、意味があるのかさえも分からず、
自分が生きていることの価値を見出せなくなる時があります。

気持ちが落ち込むのは「夜」

子供たちが寝静まり、残された家事をしたりブログを書いたり…
夜の静かな一人の時間は様々なことを考えてしまいます。
考えても答えはない、考えてもしょうがないことを永遠に考えてしまうのです。

心は「あの日」の「あの場所」のまま

心は今ここにあらずという状態です。
私の心は桜空が亡くなった2022年5月23日、亡くなった兵庫県立こども病院に置いてきました。
あの心のまま生きることなんてできませんでした。
我が子が死んでしまうことは想像できない悲しみであり、心がえぐり取られるようなことでした。心を置いてきたことは、私自身の自己防衛からの行動なのだろうと思います。

意図的に「忙しくする」ことで 精神を保つ

忙しいときは余計なことを考えていません。
家事をして子供の宿題を見て、お風呂に入れて、食事を作って、明日の準備を促して…
朝、小学生を見送り、次女を保育園に送り、仕事中はしっかり仕事に集中する。
忙しく、淡々と日々を生きることで精神を保つことができ、心が楽になります。

自分を守るための 「大切な考え方」

何度も何度も「自分の力ではどうしようもできないことだった」と言い聞かせ、理解し、
受け入れるようにしています。

泣きたいときは、泣きまくる

「もう人生やめてしまいたい」
何度思ったかわかりません。

3年が経とうとしている今も、泣きたいときはたくさんあります。
私を見ているかもしれない桜空を心配させないためにも、
泣きたいときは泣きますが、今日も明日もできる限り笑顔で生きていこうと思います。

【我が子を亡くして3年】人生は「何年生きたか」ではなく「生き方」が大事
桜空が亡くなって、もうすぐ3年が経とうとしています。私の気持ちを綴っています。
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