【産むか堕ろすか】選択した道が正しい|病気の子を産み、亡くした助産師の母が思うこと

助産師でもあり、病気の子のママだった私

私は22歳から助産師として大学病院や総合病院に勤めてきました。
2人出産し、個人病院で働いていた32歳の頃に3人目を妊娠しました。
その子はたくさんの病気を持っており、出生後に病名がわかり、
「VATRE症候群」という難病でした。

第3子妊娠中に異常を指摘される

妊娠26週で「心臓が右に寄っている」と診断され、個人病院から県立中央病院に転院。
一泊入院し複数の小児科医による胎児精査をして頂いたところ、
たくさんの異常を指摘され、染色体異常を強く疑われました。
心臓にも病気があるため、新生児の心臓外科手術が可能な大学病院に転院、
大学病院で出産となりました。

産まれた第3子はVATRE症候群

産まれてみると、染色体異常ではありませんでした。
しかし、良かった…とはなりませんでした。
たくさんの病気があり、とても珍しい奇形も持っていたのです。

「産まれてみないとわからない」
産まれてからわかった病名もたくさんあり、この言葉を痛感することとなりました。

産まれる前も、産まれてからも大変

産まれる前にも、精査入院や管理入院があり入院しなければなりません。
入院費や羊水検査をするとなれば高額な費用が必要になります。

産まれてからは、ほぼ毎日面会に通う生活でした。
そもそも、健康な子でないため「順調」からはかけ離れた成長経過です。
胃ろうであるにも関わらず、全く体重が増えず、体重が減る一方の我が子に面会に行くことは
精神的にとてもしんどかったことを今でも覚えています。
行き帰りの車の中でたくさん泣きました。
ミルク代やオムツ代の病院への支払い、面会に通うためのガソリン代など、
結構なお金が必要になります。

上に子供がいる場合は想像以上に大変

3人目のことだけでも、とても精神的にしんどかったです。
しかし、上に子供がいると上の子も育てながらの通院です。
上の子を預ける準備をし、ママと一緒にいたい年頃の子を置いて、
泣かせて出ていかなければならないことは母である私自身もつらく、
精神が崩壊しそうでした。

子供が退院しても安泰と言えないのが病気や障害を持った子供です。
毎月体調を崩し入院。もちろん急にそのような事態になるため、
急遽上の子を見てくらう手配をし、1人で入院の準備をし医療物品を積んで入院。
付き添い入院が強制である病院であったため、
退院できるまでは夫と交代などできるまでは上の子供には会えません。

また、上の子供の行事(卒園・入学)なども重なり、心配事が多く、毎日精神的に疲弊した状態でした。

22週を過ぎて判明した場合

妊娠22週を過ぎた場合は、産む選択のみになります。
私は26週に胎児異常を指摘されたため、すでに堕ろす選択肢はありませんでした。
選択肢があれば、悩みすぎて何も考えられなくなったと思います。
私はすでに産む選択しかなかったことが、逆に救いであったかもしれないと思っています。
ただ、私が26週で胎児異常を指摘された際に思ったことは
「地獄だ…何で3人目にしてこんなことになったの?堕ろす選択、ないやん…。
人生終わった。もう仕事もできんやろな…。何のために助産師になったんやろ。
この子のためになったんかな。それなら頑張るしかないか。」でした。

22週までに判明した場合

妊娠22週までに胎児異常や病気を指摘された場合は、
産むか堕ろすかの選択をする必要があります。

堕ろす選択

想像上の感情ですが、とてもとてもつらいと思うのです。
「もし、産んでいたらどんな子だっただろう」
「命を諦め、あの子は今私に何を思っているだろう」
「産んで育てることもできたかもしれない」
「あの時、産む選択ができなくてごめんなさい」
「上の子にお腹の子のことで迷惑を掛けるわけにはいかない」など…

懺悔の感情をずっと持ったまま人生を生きていかなければならないのです。
お腹の中で心臓を動かしていた小さな我が子。
子供が健康でなかった場合、母である自分の人生は大きく変わります
日々の生活、仕事の継続、世間体、様々な問題を抱えながら生きていくことになります。

また、自分だけの意志でなく、夫も両親の意見も聞かなくてはいけない状態であったり、
自分は産みたいと思っても、産めなかった方もいると思います。

産む選択

「産んだけど、頑張って育てようと思ったけど、やっぱり無理」はできません。
産む前に様々なことを想定し考えても、産んでみないとわからないことは多いです。

私は助産師でありながら一度GCUを退院すると入院になった際に
親の付き添い入院が強制であることを退院後に知りました。
上の子供もいたため、本当に困り、このことで何回もつらくて泣きました。
夜間だけでも帰宅できると違うのですが、それもできないため本当に大変でした。

周囲から、ときに夫からも選択したことを責められることがあります。
決定権は子供の親である私たちに、また主な看護者である特に母親にあることが多いです。
責められると、「私だって元気に産んであげたかったよ!」と自暴自棄に、そして鬱のような状態に陥ってしまいます。

「産むことが正義」ではない

この話をすると、助産師なのに、母親なのに…
「産む」ことを勧めないのか、と思われると思います。

私は「産む」ことだけが正解だとは思わないのです。

全てのことには、そこに至るまでの背景や事情が異なります。
それを知ってもいないのに、他者が「〇〇すべきだ」と決めつけて言うことはできません。

また、背景や事情を知っていたとしても
当事者はと「赤ちゃん」と「赤ちゃんの父親と母親」です。
他者は何も言えません。

お金も時間も労力も、健康な子供の何倍も大変で負担は大きいです。
「サポート体勢」「金銭面」を考慮し、出産後に育てていくことが可能かをしっかり考えて
出産に臨む必要があります。

産んでみると「こんなはずじゃなかった」がたくさんあります

選んだ選択が 正しい

どちらを選択してもつらいと思います。
どちらの選択も間違っていません。

どちらの選択をしたら楽、どちらの選択をしたら正解か、
それは、選択する前には存在しません。

あなたが選択したことが正しいのです。

時間はどんどんと過ぎ去っていきます。
悩んでも、もし後悔しても、淡々と生きるようにしましょう
私自身も、淡々と毎日をやりこなすことだけで精一杯でした。
あなただけでなく、みんな一緒です。

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