手を出す子育て
親がずっと子どもの傍にいれば、親は子どもの行動が気になってしまい、「そうじゃない」と言って手を出してしまうと思います。
正しいと思う方向に子どもの行動を修正したり補助したくなるのが ″親” です。
子どもも親が助けてくれると “楽だ” “きっとその方が正しいのだろう” と感じてしまい、
それ以降、親に頼ってしまい、考えることさえもやめ人生を委ねてしまいます。
初めが肝心
″最初”が肝心です。
1回助けてしまうと、親も次は助けないという選択ができなくなります。
子どもも1回助けられると、次は頼らないという選択ができなくなります。
逆に今まで助けて、突然助けをやめてしまうということも子どもは困惑します。
こうして子どもの自分の力で生きていく力を親が奪ってしまう結末に成りかねません。
子どもには無限の可能性があり、無限の力があると思います。
親の行動でその可能性を奪わないように、子どもの力を発揮できるようにするために
「手を出す子育て」から「見守る子育て」へシフトすることが大切だと思います。
子どもの人生は親のものではない
子どもは母親の身体の中で命が芽生え、育ち、生まれてきます。
生まれてからも、子どもにとって親は絶対的な存在であることが多く、
「お父さん、お母さんが〇〇というなら大丈夫!」と絶対的信頼を持つことが多々あります。
一緒にいる時間も多いので必然的にそうなってしまうのですが、やはりどこかで
「自分で考えなさい」
「あとは自分で生きていきなさい」
と手放し、自立を促し、見守る勇気が必要だと思います。
成人した後もどこかで親が手助けをしてしまうと、それは子どもの人生でなくなるかもしれない、
親の人生になってしまいます。
そしてその結果、上手くいかなかったときは子ども自身も
「お父さん、お母さんが言ったからそうしたのに…」
と自身の人生の選択を他人の責任として押し付けてしまうかもしれません。
自分の人生は自分の選択で、自分の行動に責任を持って自分の人生を生きていくことが大切です。
見守る子育て
子どもを信じるか信じないかも親次第だと思います。
今までの子育ての中で、大切なことはたくさん子どもに伝えてきていると思います。
親は自分自身の子どもとの関わり、これまでの子育てに自信を持って子どもを社会に送り出す必要があります。
手を出すことは簡単です。
しかし、手を出すことを我慢して見守ることの方が難しいものです。
親が手を出して助ける方が見守って成功することを待つよりも結果が早く、親が安心できるからです。
主語が “親” なのです。これでは、やはり親の人生になってしまいます。
子どもの人生に永遠に手を出し続けられるならば良いかもしれません。
しかし、親は子どもが死ぬまで生きていること、健康で生きている保証はないのです。
いつまでも親は子どものお世話ができるわけではありません
いつまでも援助してあげられるお金があるわけではありません
いつまでも傍にいられるわけではありません
結局、最後は
「自分で生活しなさい」「自分で生きていきなさい」といきなり突き放されても
今まで手助けされることが当たり前であった子どもはすぐには順応できず子どもが苦しむのです。
結局、困るのは子どもなのです。
何事も先回りして手を出さない、
見守ることは親が子から自立する上で、子どもを困惑させないためにも大切だと思います。
そして、その時期に明確なものはないと思いますが、遅いより早い方が良いと思います。
可愛いからこそ信じて送り出す
自分で身の回りのことができる
周りの意見に左右されるのではなく、自分で選んだ道を進んでいける
そして、選んだ道が違うと感じたら自分で自分の進む道を修正できる
子どもの自立を喜ぶべき立場の親が、子どもの自立を妨げることがないように…
子どもがたくさんのことを経験し、自分の力で一度しかない自分の人生を楽しんで生きられるように
親は可愛いからこそ手放す勇気を持ち、可愛いからこそ子どもを信じて送り出しましょう。