骨は残さない
私は自分が死んだときに骨を残すつもりはなく、散骨をしてほしいと思っています。
自分はそう決めていますが、人に自分の考えを押し付けるつもりは全くありません。
私が散骨を望む理由
永遠に墓を守る子孫がいるとは限らない
先祖の墓参りをしていて思うことがありました。
骨を残したら、お墓を守る人が必要になる。それは私の中で「人生を思い残すことなく終えた」と言えるんだろうか…
そもそも、自分の一部を誰かの世話が必要な状態でこの世に残している時点で、終われていない気がするのです。
自由に縛られず子供に生きてほしい
子孫が県外に出て行ったり、墓を維持するお金を支払う人がいなくなったり、子孫がいなかったり…
その墓に入っている先祖の遺骨は「無縁墓」として扱われ、もしかしたら敷地の隅に置かれているかもしれません。
自分の骨が雑に扱われているかもしれません。
もし私なら、残された自分の骨が雑に扱われるくらいなら自分の意志で散骨するなど後の手間が必要にならないようにしておけばよかった、と思うだろうと感じました。
執着を無くす
終活について耳にしたり自身のことを考えたりしていると
「骨を残すこと」に執着しなくて良いのではないか、と思うようになりました。
私自身の骨に、私も家族も執着せず、全てを「無」にして逝くことが、私が望む人生の終わり方だと感じました。
心の中で生きる故人
遺骨を残さなければ思い出されることはないのか、
遺骨がないことは悲しいことなのか…
私はそうではないと思っています。
いつだって育ててくれた親に感謝するでしょう、いつだって大切な家族を想い涙したり、
写真を見て思い返し、自分と故人が出会えたことに感謝すると思います。
心で繋がる親子
大事なのは、人が亡くなってから遺骨を大切にすることではなく
生きているときに大切な人との時間を大事にすることだと思います。
人生には必ず終わりがあります。
子孫には墓の心配をするよりも、
今生きているうちに大切にしたいこと、自分がしたいことに全力で取り組み、
人生を楽しんでほしいと思っています。
私がいつ死んでも
いつだって子供たちの幸せを願っているし、心はいつもそばにあります。
何も心配せず、今日を楽しんでほしいです。