お墓はいらない|お葬式はしない|死生観の自由|執着しない考え

自分の死後を考える

次男が旅立ち、お墓のことやお仏壇のことを考える中で、自分の死後はどうしようかと考えるようになりました。
今まで自身の死後について考えることは無縁でした。
また、死んだ後のことは、私はもう死んでしまったのだし勝手にしてもらって良いかな…と思っていましたが、それではいけないことにも気が付きました。
その理由は

  1. 残された遺族を困らせないため
  2. 残したお金や物が自分の意図に反して使われる可能性があるため です。

残された遺族を困らせないために

亡くなった方のある程度の死後の考え方を知らなければ、残された遺族はその後の対応に困り、
スムーズに事を進めることができなくなります。
こうしよう!と考えても遺族間で相談しなければならなかったり、面倒なことにもなりかねません。
私は残していく家族のためにも自分の考えをはっきり残そうと思っています。

子どもには何も残さない|愛で終えるための終活|遺産相続|相続問題
親にお金・物、何もなくても感謝し感謝される子どもとの関係、これが本当の愛だと思います。子どもたちを困らせたくない、子ども間で争いが起こってほしくない。子どもたちを愛するがゆえの終活、人生を愛して愛されてゴールするための終活、始めています。

お墓を持たないという考え

死んだ後をどうするか、考え方は人それぞれだと思います。
今までは平然と
「自分も死んだらお墓に入るんだろうな~」「子どもたち逢いに来てくれるのかな」
と思っていました。
しかし、次男のことでお葬式やお墓のお金のこと、手続きのことを少し知り、こんなにお金のかかるお墓はそもそも必要なのか、と考えるようになりました。
今まで平然とそのしきたりに習うことが良いと思ってきましたが、そのしきたりは本当に必要だったのか疑問に思うようになりました。
平然としきたりに習えるような供養の気持ちで続けることができる金額でないことにも驚きました。
墓守りをするとなれば話は違いますが、主人は次男、私には弟がいます。
私も主人も墓守りをする人間ではないので、新たにお墓を準備するのであればお墓はもたない考えもあると考え始めました。

また、子どもたちにはお墓があることで人生を縛られないでいてほしいと思っています。
県外に行きたかったら行ってほしい、海外で生活したかったらそれを叶えてほしい…
お墓があるから帰らないと、お墓をきれいにしないと…優しい子どもたちはそう思うに違いないのです。
子どもに自由な人生を生きてほしい、墓守りの負担を子どもや後世に残したくないという気持ちもあります。
墓守りには手間・時間・費用がかかります。
大切なのはご先祖への供養の気持ちであって、縛られる必要はないと伝えたいです。

まだ終活途中ですので考えている最中ですが、「お墓」というものに執着しなくても良いのではと感じています。

死んだ後にお金を掛けない

終活を考えていく上で、私個人の考えとして、死んだ後に大きなお金が必要になることは本当に不思議に思うのです。
もし、私が300万円残して死んだとします。
お葬式に100万、その後の法事やお墓の維持費に200万だとして…
私は何のために300万を残したのだろうと悲しくなるのです。
私はその300万でかわいい孫がお誕生のときに何か1つ、欲しいものを買ってあげてほしい、
かわいい孫が入学のときにランドセルを買ってあげてほしい…
「亡くなったおばあちゃんからだよ」と言って、買って喜んでいる姿を親である我が子に見せたい…

死んだ私には必要以上の大きなお金を使わないでほしいのです。
死んだ私のために残した、使ってほしいお金ではないのです。

「おばあちゃん、ひいおばあちゃんありがとう!!」
孫にかわいい笑顔で私の写真に話しかけてほしいです。
多くのことをしてあげられるお金は残せないと思います。
しかし、残したお金は子どもや孫の笑顔のために使ってほしいと思っています。

お葬式はしない

次男のときに実感しました。
自宅から葬儀場に行くことでバタバタとし、葬儀中は席に着くため次男の横にずっといたい、ずっと次男を見ていたい触れていたいのにできないのです。
自分のときには直葬を考えています。
葬儀場への移動を無くし、自宅で過ごす時間、家族の傍にいられる時間を長く持ちたいと考えているからです。

お仏壇はいらない

私にはお仏壇は必要ありません。
写真と横に綺麗な生花を飾ってほしいと思っています。
私には写真の横に飾る生花と子どもや孫が笑顔で話しかけてくれること、これが十分すぎるのです。

自分の考えを家族に押し付けない

死生観は人それぞれです。
例え、家族であっても自分の死生観を押し付けることがあってはいけないと思います。
主人は主人、子どもには子どもの考えがあります。
私はお墓をもたない考えを持っていますが、主人や子どもはお墓を持ちたかったら持てばよいのです。
自由な死生観で、人の死生観に口を出さないことも大切です。

生きている今を大切に生きる

死ぬときは家族も友達も物も、何も持って逝けません。
ご先祖のためにも、私たち自身が生きている「今」を大切にすることが最大の供養だと思います。
明日、もし死んでも「幸せだった、ありがとう」そう思えるように今この瞬間を生きていきたです。

30代から考える終活|自由な終活|縛られない考え|人生の断捨離
次男の死から、私は死を今まで以上に身近に感じ、死について考えるようになりました。人生には何が必要で、何が必要でないのか。死ぬとき、物やお金は持って逝けません。自分の人生について考え直しながら日々生きています。
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