30代から考える終活|自由な終活|縛られない考え|人生の断捨離

死について考える

私は次男の旅立ちから死について今まで以上に考えるようになり、
死をより身近に感じるようになりました。
そして、私自身の死についても考えるようになりました。

30代の終活は良いタイミング

成人して10年以上が経ちました。
がむしゃらに生きてきた10年間を振り返ります。
「自分はこの1回しかない人生で何がしたいのか」
「今までの人生を振り返って、こうしたらより良い人生になると思うことはないか」
「後悔」ではなく、より良い、より幸せな人生に自分自身で変えていけるように自問自答します。

男性も女性も80歳まで生きられることが多くなった時代です。
人生何があるかわかりませんが、80歳まで生きられると考えるとまだ半分も生きていないことになります。
30代からの終活は人生を考え直す良い機会になると思います。

死について考えることは悪いこと、マイナスなことではない

人生には「死」という終わりがあると考えるからこそ、今この生き方で良いのか考えることができます。
終活は最期を見据えて、これからの人生と向き合ういい機会です。
最期を考えるからこそ人生に充実感、幸福感が得られると思います。
人生は永遠ではない、終わりがあるからこそ命をより尊く感じ、一生を大切に生きようと思わせてくれます。

人生の断捨離

特に身近な人の死は、自分には何が大切で何が大切でないかをあるか見えてくる。
人生について考えることは断捨離にも繋がります
「物」はより生活を豊かにしてくれますが、必要か必要でないかをよく考えると必要でないものも多いのが現実です。
「周りが持っているから」「見栄」など…
もちろん、その物によって幸せになれるのであれば良いのです。
しかし、その物を手に入れるために一生懸命働き、身体や心の調子が悪くなるのであれば本末転倒です。人生を幸せに健康に生きられません。
大切なことは心身ともにより健康に生きることです。
心身ともにより健康に生きることに反するものは断捨離していきましょう。

お墓を持たないという考え

死んだ後をどうするかも考えは人それぞれだと思います。
今までは平然と
「自分も死んだらお墓に入るんだろうな~」「子どもたち逢いに来てくれるのかな」
と思っていたのです。
しかし、次男の死からお墓ってそもそも必要なものなのか?
今まで平然とそのしきたりに習うことが良いと思ってきましたが、そのしきたりは本当に必要だったのか疑問に思うようになりました。
まだ終活途中ですので考えている最中ですが、「お墓」というものに執着しない考えもあると感じています。

大切なのは心

なぜお墓など物に執着しない考えをし始めたか…
大切なのは「心」だと実感したからです。
例え、県外で生活していてお墓参りをしなくても、できなくても、
いつもご先祖には感謝しています。ご先祖がいたから今の自分があります。
お墓が無くても、拝む場所がなくても、いつも私たち子孫はご先祖の心安らかな天国での日々を願っています。

「物」に執着する必要はないのです。
大切なのは「心」です。
残したい…そう思う方はお墓を残し、
私のように「心」だけで良いかもしれない…そう思えば残さなかったら良いだけなのです。

ご先祖の心はいつも傍に

私が死んだら、時々写真を見て思い出して話しかけてほしいと思っています。
そして話しかけてくれた子どもたちに私は
「今日も生きられることに感謝して。私の自慢の可愛い娘、かっこいい息子、今日も母に話しかけてくれてありがとう。愛してるよ。今日も1日楽しんで」と答えるでしょう。

生きている今でもわかります。
ご先祖の心はいつも傍にあるのです。

死ぬときは何も持って逝けない

死ぬときは家族も友達もお金も家も車も、何も持って逝けないのです。
地位や名誉を持っている方はそれも死後は持っていけません。

だからこそ大切なのは生きている「今」だと思います。

人生一度きり、後悔のない人生を

一度しかない人生、後悔のない人生を生きることが大切です。

人の目を気にしていると「自分が生きたかった自分の人生」を生きられず、
「他人の目を気にして生きた自分の人生」になってしまいます

最期はこの人生に悔いなし!笑顔で次男の元へ逝けるように、たくさんのことに感謝して、
今を一生懸命生きていこうと思います。

お墓はいらない|お葬式はしない|死生観の自由|執着しない考え
次男の旅立ちがきっかけとなり、私自身の死後についても考えるようになりました。残していく家族を困らせないためにも、ある程度の自分の考えを伝えておくことは大切です。自分の死生観について綴っています。
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