悲しまないなんて無理…
悲しいのに悲しい気持ちを我慢することは不可能なことです。
悲しいときは思いっきり悲しんで泣きましょう。
しかし、一日中泣いていては、亡き家族が心配すると思うのです。
今日を生きたかったあの子にも、こんな私の姿は見せられない。
だから、私は悲しむ時間を決めるようにしています。
悲しむ時間を決める
10分、30分と決めているわけではありません。
たくさん思い出し、思い出に浸り、悲しみ、たくさん涙を流し、悔やんで、謝って、感謝する。
全ての気持ちを出し切ります。
そして、亡き家族の写真に最後は笑顔で「ありがとう、あなたがいてくれたおかげで今の私がある」と伝えます。
深呼吸して写真を置き、「はい、今日はもう泣くのおしまい」と気持ちを切り替えて動くようにしています。
半年までは無理だった
家族が旅立ち、半年くらいはずっと泣いていました。
主人が出勤し、子どもたちが学校へ行き、次女がお昼寝をすると一人の時間ができます。
この時間にいろいろと考えてしまうのです。
あの子を育てたかったな…一人の時間なんて有難くない、あの子と家で一緒に過ごしたかったなと。
写真や動画を見てしまうと、ずっと見続けてしまう。
この頃に戻りたい、なぜあの子は死んだのだろう…なぜいなくなってしまったのだろう…
あの子は生きていたのに…
そして、終わりのない悲しみの時間
ただ悲しんで、ただ悔やんで、ただ謝って、ただ感謝する…
しかし、あの子が戻ってくることはない
鏡を見なくてもわかる
自分は浮かない顔をしている
笑っているようで心が笑えていない
毎日を過ごせているようで、ただ時間に身を任せているだけ
身体はあるけれど心はあの時に止まったまま…
抜け殻のようになってる
わかっているけれど、今は無理…
この感情のまま半年以上を過ごしました。
あの子は自分をみてどう思うだろうか…
家族の旅立ちから半年以上過ぎてから、違う考え方をするようになりました。
それは「あの子は今幸せだろうか、私を見てどう思うだろうか…」ということです。
あの子はとても優しい子…
私を見て、とても悲しんでいるだろう…
そんなに泣かないでと。
「こんなに泣いてる姿、見せられない…」
そう思うようになりました。
また、「今日この時間はあの子が生きたかった時間」「生きたくても生きられなかった時間」と考えるようになりました。
しかし、あの子を想わない日はありません。
悲しいときは大泣きしたくなります。
だから時間を決めて悲しみ、あの子を想って一日に感謝して切り替えて動くようになりました。
これからも亡き家族を愛して
何をしていても想うのです。
あの子も一緒に行きたかった、あの子も一緒に食べたかった、あの子も一緒に見たかった…
あの子が生きていたらもっと幸せだった、もっと心から笑えていた、喜べていたのに…
大切な家族を亡くした人は同じことを想って生きているのではないかと思います。
時々しんどくなりますよね
時々何もかもどうでも良く感じますよね
時々何もかも捨てて逃げ出したくなりますよね
私も一緒です。
でも、このつらい、しんどい気持ちに蓋をせず、時に感情をむき出しにして大泣きしましょう。
そして、また気持ちを落ち着かせて過ごして生きましょう。
きっと、これからもこの繰り返しなのだろうと思います。
でもそれで良い、それが正しい。
私たちが失った家族は、自分を狂わすくらいにとても大切な存在だったからです。
だから仕方がないのです。
あの子に感謝して、今日に感謝して
いつかあの子の元へ逝くその日まで。
今日も亡き家族を想って、亡き家族を愛して、一緒に生きていきましょう。