「私、幸せだよ」最期に聞きたい言葉|最期の幸せ|人生・子育ての終着点

私の人生・子育ての終着点

私にとっての人生・子育ての終着点は「親の自立と子どもの自立」と考えています。
私だけが自立して子どもが自立できていなくてもいけない、
自分も子どもも自立できてこその私の終着点です。

私が考える「子どもの自立」は「頼らない、相談しない」ではなく、
「自らの力で自分の道を選択し、切り開き、試行錯誤しながら進んでいく」ことです。

「親離れ」「子離れ」はしなくても良いと思っています。
親の心はいつだって子どもの傍にあります。
いつも親は子どもの味方で、いつまでも自分の子どもが可愛いのです。
「親バカ」もそうです。「親バカ」だからこそ自分の子を愛し育てられるのです。

しかし、
心の「親離れ」「子離れ」はしなくても良いと思いますが、
身体の「親離れ」「子離れ」はした方が良いと思っています。

身体の「親離れ」「子離れ」

私は次男の旅立ちから、より死を身近に感じ自身の死について考えるようになりました。
可哀想かもしれませんが、我が子にも‟ママは永遠には生きられない”ということを伝え、
私がいついなくなっても子どもが前を向いて自分の人生を自分の力で歩んでいけるようにしたいという思いがあります。

いつまでも親は元気ではありません
いつまでも親は子どものお世話ができるわけではありません
いつまでも援助してあげられるお金があるわけではありません
いつまでも傍にいられるわけではありません

親が傍にいれば、親は子どもの行動が気になってしまい、「そうじゃない」と言って手を出してしまうでしょう。
親が正しいと思う方向に、子どもの行動を修正したり、補助したくなるのが”親”です。
子どもも親が助けてくれると ″楽だ” ‟その方がきっと正しいのだろう” と感じてしまい、
それ以降、親に頼ってしまい考えることさえもやめ、親に人生を委ねてしまいます。

子どもが自らの足で行動し、自らの力で生きるための‟子どもの自立”はさせ、
身体の「親離れ」「子離れ」をするべきと思っています。

親の自立

私は子どもが18歳になる頃には、子どもと一定の距離感を保つようにし、
犯罪や命に係わること以外は「手を出したい」「こうしたら良いのに」という親心をぐっと我慢し、
子どもを信じて見守ることを大切に‟親として自立”していきたいと思っています。

親が傍にいなくても親が死んでしまっても、心は傍にあると今から伝えることで
何事も自信を持って取り組める人間になるように今から子どもの心を鍛えていきたいと思います。

最期に聞きたい言葉

「私、幸せだよ」

私の最期は、主人・子どもたち、家族から

「私、幸せだよ」「俺、幸せ」

この言葉が聞けたら、私、何も思い残すことなく桜空のところに笑顔で逝けます。
私の人生の終着点・子育ての終着点はまさにこの言葉を聞くことです。

「まだ行かないで」

もし…
「まだ行かないで」
「お母さんがいないと困るよ、生きていけないよ」
「私も一緒に連れて行って」

こんなこと言われたら、私死ぬ瞬間なのに…
安心して死ねない、笑顔で逝けない、心配で成仏できません…

家族からこんなことを言われる心配もなければ、言われない
これが1番の幸せです!

自分の家族の最期の幸せのために

最期、自分や家族が幸せかどうかは自分の行動次第、自分の子どもとの関り次第です。
自分が考える最期の幸せを感じて、この世を去ることができるように生きていきたいと思います。
今日も1日生きることができ、幸せでした。
皆さんも今日1日お疲れ様でした。充実した日々をお過ごし下さい。

30代から考える終活|自由な終活|縛られない考え|人生の断捨離
次男の死から、私は死を今まで以上に身近に感じ、死について考えるようになりました。人生には何が必要で、何が必要でないのか。死ぬとき、物やお金は持って逝けません。自分の人生について考え直しながら日々生きています。
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