家族じまい|家族だけれど自分ではない「他人」|依存しない生き方

「家族じまい」って何?

言葉の通り ‟家族との縁を切りたい” という意味のようで、ミヤネ屋を見ていて知りました。
親子間だけでなく、兄弟間でも「家族じまい」についての相談が増加しているようです。

親子・きょうだいであっても、自分ではない「他人」

「産んであげた、育ててあげた」
親からすると、そう言いたくなる気持ちはよくわかります。
子育てにお金も時間も費やし、自由な時間もほぼありません。母親は出産を機に仕事を退職したりセーブし、キャリアアップが難しいことも多いです。

しかし、そもそも子供を自分の老後の看病をさせるために産むという考えは間違っていると思います。
むしろ、自分の産んだ子供の幸せを一番に「自由に楽しく生きてもらうこと」が親の幸せであるはずです。

介護する、介護しないは自由

子供が親の老後を看るか、看ないか
これは各々の自由だと思います。

看たければ看れば良い
看たくなければ看なければ良い

どれだけ看病するか…も自由

私は地元に戻って生活しているため、両親に何かあった場合は親の面倒を看ることができます。
しかし、もし両親が介護が必要になっても「全て自分が!」とは思っていません。

いくら親子であっても、全ての介護を担うことは想像しただけで共倒れしてしまいそうです。

家族で抱え込み、共倒れしないためにも…

そもそも、親が介護を必要としているときの子供世代は、家庭を持っているかもしれない、仕事・子育て・家事などで大忙し。ゆっくり自分のことをする時間さえもないのです。
その上、出産年齢が高齢化している今となっては、親が介護が必要になったときに子供も若くはなく、40代50代となり、更年期症状が出てイライラしているかもしれない、自分の体調が万全とも限らない、自分が生活することさえも精一杯かもしれません。

受けられる公的サポートを受けながら
「できることはする」
「できないことや難しいことは抱え込まず相談し、お金を払って専門職にお願いをする」
親の年金や貯蓄で、できる範囲のことをしていく、そうするしかないと思います。

子育ても介護も「ボランティア」

ボランティアとは ‟自分の意志で他人や社会に貢献すること” です。

子育てをすることで、お給料が発生するわけではない
親を介護することで、お給料が発生するわけではない

だけれど、
自分が産みたくて産んで我が子を育てている
感謝の気持ちがあるから老いた親のサポートをできる限りしたい

全てを自分が…とは思わず、こんな自然な気持ちのまま、できる範囲のサポートをすることが良いのでは?と私は思います。

見返りを求めた時点で嫌われる

親子は血縁関係がありますが、「自分ではない人間」という考えでいえば「他人」です。

自分ではない他人である子供に、自分の考え通りに生きることを求めてはいけないと思います。

恩着せがましく、「産んであげたんだから私の老後を看なさい」と言われても…
子供と血の繋がりはありますが、「自分ではない人間」であることに変わりはなく
子供が「看ない」と言えば、それまでだと思います。

今までの親子関係を振り返る

もしも、あなたが子供に看てほしいと思うなら、少しでも「看たい」と思われるような親になることです。

そもそも、これまでの親子関係やきょうだい関係が良好であれば普通は
「何かあったら助けたい」
「何でも…は難しいけれど、できることならしよう」
そう思うはずです。

しかし、子供やきょうだいに助けを求めたときに「完全拒否」された場合、
それはそれまでの関係に「難あり」なのです。

「家族・身内に頼れないこと=不幸せ」ではない

お金を支払って、専門職にお願いしましょう。
それは決して悲しいことではありません。
知識豊富で様々な経験のある専門職の方にお願いすることで得られる安心感は、何にも代え難いからです。
そのためにも一定の貯蓄はしておくことが必要です。

私の「子供への想い」と「老後」

子供には子供の人生があります。自由に生きてほしいと思っています。
4人産んで、1人は先天性の難病で手術後に亡くなりました。
今、元気に生きている子供は3人います。
成人になったらしっかり自立して自分で夢を持ったり、楽しいことを見つけ、限りある人生を楽しんでほしいと思っています。

親である私は、自分でできるように生きていきます。
サポートを望んでも金銭的に難しければ諦める。自分が受けられるサービスを受けながら自分の人生を生きる、それだけです。
人生に起こる様々な現実を受け止め、最期の日まで感謝して生きたいと思っています。

私が最期のとき、子供に逢いに来てほしいなんて贅沢は言いません。
テレビ電話で元気な顔を見せてほしい、元気な声を聴かせてほしいと思っています。

最後に、自分の経験から

亡くなった私の次男は医療ケア児でした。
人工呼吸器、胃ろう、気管切開をした医療ケア児、医療ケア児を育てることは想像以上に大変です。
そもそも、医療が多いと育児ではなく看護している状態で、助産師の私にとっては仕事をしているようでした。

介護も同じことが言えると思います。
あまりにも必要な介護が多い、認知症が進んでいる、医療ケアがあると、「親の面倒を看る」ではなく、もはや「無給の仕事」なのです。

仕事はできない、プライベートな時間が少なくなる、身体的・精神的疲労が大きくなると、介護者の精神状態が安定しなくなります。
精神状態が不安定な子供に看られる親は、幸せでないかもしれません。

実際、私は訪問医師や訪問看護師の力を借りました。
そのおかげで安心して次男を任せられる時間があり、気持ちの整理をしたり、家事・育児をしたりすることができ、本当に助かりました。
そして訪問医師や訪問看護師さんからたくさんの情報を得ることができ、何か困ったことがあっても助言頂くことができました。

家族間だけで抱え込むことが「美」ではない、他者の力を借りることが「悪」ではないのです。
看る者、看られる者…お互いのためにも抱え込まず、社会に頼って生きることはとても大切です。

 

 

 

 

 

 

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