我が子の旅立ちと祖母の旅立ち|受け止め方の違い|ありがとう…でも…

大切な2人の旅立ち

2022年、私は大切な人を2人亡くしました。
5月に我が子、桜空…
10月に祖母…

どちらも私にとって大切な人。
同じ大切な命…
でも、違ったんです。
受け止め方が…

おばあちゃん、ありがとう

祖母は90歳でした。
20年前に祖父が亡くなりました。
祖母はとても寂しかっただろうと思います。
毎日喧嘩をしていた伴侶を失い、刺激が減ったことも関係していると思います。
数年後に認知症になりました。
喧嘩しながらでも、祖父という人間の存在は祖母にはとても大きかったと思います。
祖母はのちに1人での生活が難しくなり、施設に入所しました。
施設に入所していたのは9年、祖母にとって施設は第二の自宅であったと思います。
その施設で関わってくださったスタッフの方に心から感謝しています。
大切な祖母の人生の9年もの月日を支えて下さってありがとうございました。

祖母は老衰でした。
食べることが大好きだった祖母。
嚥下機能の衰えが増し、流動食になった後も、母が面会時に持参したつぶした果物をよく食べていたそうです。
コロナになり、施設への面会は特定の2名まで。
私は面会に行けませんでした。

「もう、あぶないかもしれない」
看取りの時期になったと施設の方や往診の医師が判断し、家族の面会が許可されました。
コロナ禍であったにも関わらず面会を許可してくださったこと、心から感謝しています。

夕方、母から電話がありました。
「いつも果物を食べるのに、今日は食べなかった。
もうこの状態だから面会許可されるみたいだから、早めに逢いに行った方がいい。」
翌日、両親に子どもたちをお願いして主人と面会に行きました。
コロナ前と同じお部屋に行くと、祖母がベッドに横になっていました。
「…おばあちゃん…」

祖母は祖母でないかのようにやせ細っていました。
あんなにふくよかだった祖母。
握った手は骨が浮き出ていて、少し冷たい…本当にやせ細っていて、顔のお肉もなく頬がこけてしまって祖母であるのかすら、わかりませんでした。
しかし、私の声に反応して、コロナ前に逢った時と同じく優しい瞳で私を見てくれました。
「おばあちゃん…!」

涙が溢れ出ました。
「おばあちゃん、しょうこだよ、逢えてよかった、逢えてうれしいよ」
「おばあちゃん、おばあちゃん、ありがとう」
「私が高校のとき母さんと喧嘩しておばあちゃん家に家出したとき、翌朝お弁当準備してくれたね、ありがとう」
「よくお菓子を買ってくれたね、母さんはおもちゃが付いているお菓子は高くて買ってくれなかったから、いつも嬉しかったよ」
「よくお小遣いをくれたね、嬉しかったよ」
「いつもしょうこちゃん、しょうこちゃんっておばあちゃんは優しく声をかけてくれたよね」

たくさんのありがとうの気持ちが自然と出てきました。
次から次へと出てくる思い出
「ありがとう」と「感謝」の気持ち、それしかありませんでした。

面会は10分と決まっていました。「必ず時間厳守でお願いします」と受付で言われていました。
手渡されたタイマーがもうすぐ鳴ります。
10分はあっと言う間でした。
まだまだ手を握って傍にいたかったです。しかし、こうして直接おばあちゃんが生きているときに話ができたこと、感謝を伝えることができたことに、また感謝しています。

頬にも手を当てさせてもらって話しかけました。
1回1回の呼吸が深いことにも気が付きました。
背中をゆっくりさすりました。
「おばあちゃん、頑張って呼吸しているね。頑張っているんだね。わかってるからね。
おばあちゃん、逢えてとても嬉しいよ。また逢いにくるからね。ゆっくり休んでね。おばあちゃん、ありがとう、ありがとう」

翌朝、祖母は旅立ちました。
おばあちゃん、大好きなおじいちゃんの元へ逝ったんだね…
祖母は祖父が亡くなってからいつもいつも言っていました。
「お迎えが来てほしいのに来んのよ…じいさん、はよ迎えに来てって言よるんやけどなぁ」と。
きっと祖父は祖母に「来たんか」と言って優しく微笑んだだろう…
きっと空の上でまた喧嘩しているんだろう…

おばあちゃん、よかったね、おじいちゃんに逢えて…
おじいちゃん、おばあちゃん、孫の私にたくさんの愛をありがとう…

桜空…あなたはまだ早いよ…

祖母の旅立ちはそう思えたのに…我が子の旅立ちは全く違いました。
私の心がまず穏やかでなんていられなかった…

順番が違うのです。
桜空はまだ2歳…
たった2年しか生きていない。
あなたはこれからだった。
あなたは今まで頑張ったぶん、これからは明るい未来を生きるはずだった。
まだ早い…
私の方が逝かなければならないのに、何で桜空?

あなたが逝ったらダメでしょう!?置いていかないで!!戻っておいで!!!

「ありがとう」よりも先に出てきた気持ちは「ごめんね」でした。
頭ではわかっている…
「ごめんね」なんて言ったらいけない、「ありがとう」「大好き」と言わないと桜空が心配する。
でも無理でした。
「ありがとう、でも…ごめんね」
やっぱり出てくる懺悔の気持ち
元気に産んでいたらこんなことにはならなかった
桜空、ごめんなさい。

これもまた、同じく子どもを亡くした親にしかわからない感情です。
人から何を言われようと、何を思われようと私は可愛い亡き子どもを想い続けます。

大切な2人に感謝して

おばあちゃん、たくさんの愛をありがとう。
天国でおじいちゃんと幸せに過ごしてね…

桜空、いっぱい頑張ったね、強い男の子だね!
たくさん可愛い笑顔を見せてくれてありがとう。
逢いたい…ママもいつか逝くからね。
それまで待っていてね。
私の可愛い次男坊。ずっとずっと愛しているよ。

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