桜空が逝ってもうすぐ3年
桜空は何で2年2ヶ月しか生かせてもらえなかったのだろう…
60歳、70歳、80歳…
長生きはとても素晴らしいことです。
高齢であれば周囲も「早すぎる…」という負の感情を持たず、「ありがとう」の感謝の気持ちで見送れるかもしれません。
しかし、桜空は2年2ヶ月…短すぎます。
「ありがとう」の感情の前に「ごめんね」「どうして」この感情が勝ってしまうのです。
こんなに長く生きる人もいる中で、桜空がたった2年だったのはなぜなのでしょうか。
後悔の念は今も
我が子は2歳2ヶ月で逝きました。
たった2年2ヶ月しか生かせてあげることができなかった。
元気に産むことができていたら…
健康な身体で産めていたら…
何回も思ってきましたし、今も思います。
しかし、最近になって違う感情が生まれてきました。
桜空が生きた2年2ヶ月は、健康な人の60年~80年に値する
桜空が生きた2年2ヶ月は、桜空が一生懸命に生きた2年2ヶ月でした。
楽しいこと、嬉しいこと、悲しいこと、つらいこと、たくさん凝縮された2年2ヶ月。
痛いことも怖いことも、たくさん頑張ってくれました。
そう考えると、桜空が生きた2年2ヶ月は健康で産まれた人が60~80年生きることに値するように思えてきました。
怒涛の2年2ヶ月、とても幸せだった
桜空は生後0日で手術、術後も呼吸状態が安定せず精査していたところ珍しい先天性の病気を持っていることがわかり、入院期間は約11ヶ月。
2週間の付き添い入院を経て、やっと退院し家族みんなで生活できると思ったら、気管支炎・肺炎を発症し毎月入院。
どんなに一生懸命に吸引・吸入をし看護しても、元々の身体が健康でないため、すぐに入院が必要になってしまいます。
毎日の医療ケアで時間に追われ、何度も鳴る呼吸器アラームで家族全員寝不足でした。
旦那は出張が多い仕事であったため、ほぼワンオペでした。
桜空も、家族みんなも頑張った2年2ヶ月。
しかし、それはとても幸せな2年2ヶ月でした。
家族が生きて揃う幸せ、この幸せを私はもう感じることができません。
健康で家族みんなが揃うことは幸せなことであり、うらやましい気持ちです。
しかし、病気の子供がいた親として思うことは
病気であっても、毎日忙しくても、家族といられる幸せは最上の幸せだったということです。
桜空が産まれてきてくれたこと、2年2ヶ月生きてくれたことに大きな感謝
たくさん頑張ってきた桜空の2年2ヶ月の人生。
これ以上生きろというのは酷なことだったのかもしれません。
本心はもっと一緒にいたい、絶対に私より生きてほしい、医療機器が不要になるくらい元気になってほしい…
そう思っていましたが、同時に
「桜空が痛くない、つらくない、しんどくない心地よい状態で休ませてあげたい。これ以上頑張らせたくない」
とも思っていました。
傍で見てきました。
桜空が病気と闘いながらも笑顔で頑張ってくれたこと。
頑張って生きてくれた桜空に、親である私は「もう頑張らなくて良いよ、ゆっくりね。たくさんたくさん、ママに幸せをありがとう。」
今はそう言いたいです。
「生きた年数」より「生き方」
長く生きることは素晴らしいことです。
しかし、早ければいけないのか、と言われるとそうでないと思うようになりました。
大切なのは「自分の人生をどう生きたか」
桜空は皆さんに支えられ生きた2年2ヶ月でした。
健康で産まれていたら、こんなに多くの人が関わっていないのです。
たくさんの医師や看護師さん、医療スタッフ、家政婦さんに助けてもらい、病気を診て看護してもらい育ててもらいました。
お世話になった分、しっかり元気になって元気な姿を見せて恩返しがしたかったのですが、それは叶いませんでした。
桜空はたくさんの方に愛情を注いで頂き、大切に育てて頂いて幸せだったと思います。
その愛情に応えるように、手術や検査をたくさん頑張ってくれました。
「もう、無理かもしれない」
そんな場面を何回も乗り越えてくれました。
愛情をたくさんもらって、たくさん笑ってくれる愛らしい子でした。
改めて、桜空の2年2ヶ月に関わってくださった全ての方に感謝しています。
直接お会いすることはできませんが、桜空の人生に関わって下さった全ての方の幸せを心から願っています。
一緒に生きることができた月日を胸に生きる
桜空のところに逝くその日まで、母である私は感謝して生きていこうと思います。
助産師として医療従事者として寄り添った看護をしたい、桜空のきょうだい3人育て自立させる、自分らしく生きていきいたいです。
その上で、桜空を育てる上で知ったこと、困ったことをゆっくりですが発信していこうと思います。